「株式会社関西」という社名は、関西以外の方からはなじみがないかもしれません。
これは、弊社が誕生する平成元年に遡りますが、過去に代表取締役社長も勤めた青山トモ子が命名しました。

元々、建設会社の業務をしていた弊社は、そのときに建設されていた関西国際空港の活気づいた雰囲気や、関西発という思い、関西一になるという思いから生まれました。
地元関西では、「かんさいさん」と呼ばれ、親しみある名前であり、現在のドメイン、kskansai.comにも反映されています。

青竹のふしの由来

5688813_0青竹のふしという、知っているけど聞き慣れない言葉。
この名前には、過去・現在・未来の時間軸と、ひとつひとつステップアップしていく様が思い刻まれています。

代表取締役社長を勤める青山敬三郎が若かりしころ、リハビリを担当させていただいていたお客様からいただいた名前で、青竹のふしという歌集の題名であります。

そのお客様は、当時で100歳近くの年齢であったのですが、若い頃から歌が好きで、奈良や京都に「学び」にいくためお茶会や歌会などに参加されていたそうです。 その会のひとつに、北原 白秋が主催し先生となって歌いあう会(多磨)があり、気合いをいれて奈良の唐招提寺まで行かれたらしいです。しかし、周りはさすがに北原 白秋の会ともなれば、すごいうまい人たちでとても緊張していたと言われていました。

歌を考える時間というのがあって、朝早くに霧雨が降った庭や風景を見ながら歌を考えるらしいのですが、全然思いつかずにどうしようと思っていたときに、朝日がすっと青竹を照らし、その青竹がとても輝いていて自然に歌が出てきたそうです。

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降りやみて


      朝は乱れし竹群の


          青竹の節の白きがみゆる



                   原作

この歌を北原 白秋が直接指導する鑽(かなしき)という行事で、「降りやみて」と「乱れし」に赤棒を引き、そして「乱れし」の所を「そよげる」と直していただき、下句には傍点を赤鉛筆でおつけ下さったと。
これは、「良く出来ている」という印だそうで、「いいよ」の言葉とともに心躍りがとても感じられ、その強い思い出から、この集の題名を「青竹のふし」とされたそうです。

こうして誕生したのが

雨やみて朝はそよげる篁の青竹のふしの白きが見ゆる

遠い昔のえにしの糸が、現在と繋がっており、この歌はあります。
北原 白秋が良いと言ったのは、熟練された良さではなく、未熟でとても脆弱な中にある、若さ未熟さだからこそ出来る斬新さ、新鮮さをまだ若い青竹と、その白いという表現に重ね合わせ、ひとつひとつ節を刻んでいくよう思いを伝えられたのでしょうと教えてくれました。

その歌集は、この方が歌を始められた女学生時代から結婚や子育て、連れ合いとの死別、人生の後期までの思いを歌として集めたもので、そのなかでも青竹のふしが題名になるほど思い出があったようです。

青山敬三郎は、もちろん北原白秋に会ったことはありません。しかし、このように誰かから誰かに思いを継承していくと言うことは、とても大事なことであり、また、若さや未熟さならではの良さを発揮し、そしてそのような若者が居たときには、決してその若さをつぶさずにこのように指導し継承していく様にとても感動しました。

青竹のふし。我々はまだ若くそして白い竹で、節も大きくありません。しかし、失敗を怖がらずに一生懸命に努力し年齢を重ねていきたいと思います。そして我々が失敗し悩み、努力したことは、過去・現在は今ありますが、これから繋がる未来へと継承して行ければよいと考え、筆者の快い了解のもと命名させていただきました。